名前
久文 友葵(きゅうぶん ゆうき)
出身地・出身校
■ 鳥取県北栄町出身
■ 鳥取中央育英高等学校
こんにちは、田中療術院 倉吉分院長の久文 友葵(きゅうぶん ゆうき)です。
私は、男ばかりの3人兄弟の長男として育ちました。
小さい頃から兄弟の仲がとても良く、弟をいつも可愛がったり一緒に遊んでいました。
そして幼い頃から体を動かすことが大好きだったこともあり、小学1年生の頃から水泳を始め、平泳ぎで県4位という結果をあげました。
また、高校では水球やバレーボールなど様々なスポーツにも挑戦しました。
昔から子供が大好きだった私は、高校を卒業した後は好きなことを仕事にするために保育士の道にすすみました。
毎日子供達と関われる仕事内容はとても楽しい反面、子供を預かる責任感やその他の業務を同時にこなさなければならないプレッシャーなど、思った以上に精神的ストレスも大きかったです。
そして環境に無理に合わせて無理をし続けた結果、しばらくして体調を崩してしまいました。
保育士の仕事自体はとてもやりがいのある仕事でしたが、体調を崩したことをキッカケに再度自分が本当にやりたいことを見つけるために退職を決意。
新たな道にすすむことにしました。
体調を崩して保育士を辞めたこともあり、次の仕事では「健康をサポートする仕事」に就きたいと強く思うようになっていました。
そんな時に出会ったのが、「ストレッチ専門店ストレッチヒーロー」でした。
ストレッチヒーローで仕事をさせてもらうようになり、そこではじめて人体の仕組みや体の正しい動き、骨格や筋肉、ストレッチに関する知識など学び、人体の奥の深さを知ることができました。
初めは覚えることがとても多くて大変でしたが、クライアントさんの悩みを聞いたり、目標としている姿へ二人三脚で向かったりと、体の変化を一緒に喜びつつ「体が楽になってきたよ!ありがとう!」と言って頂けるお仕事だったので、とてもやり甲斐がありました。
ストレッチで多くの方を施術していただく中で、ストレッチ技術以外も身につけて、更にクライアントさんの満足度を向上できるようになりたいと思うようになってきました。
そして苦渋の決断でしたがストレッチヒーローを退職して、次はリラクゼーションの業界に足を踏み込むことを決意。
ストレッチヒーローで人体について学びストレッチの知識もあった私は、リラクゼーションサロンでも有難いことにお客様から褒めていただけることが多く、一日の予約数の半数以上が指名のお客様で埋まるようになりました。
お客様に喜んでもらえるリラクゼーションサロンの仕事もやり甲斐のあるものでした。
しかしお客様の中には、肩や腰の痛みが慢性化してしまい、痛みで困っている方も一定数います。
「痛みや怪我で困っている人のサポートもできたらいいな」
リラクゼーションサロンに入ってから、その思いが日増しに強くなっていきました。
そんな時です。
ストレッチヒーロー時代からお世話になっていた田中先生から「零式整体を学んで倉吉分院を開いてみないか」というお話を頂きました。
零式整体では、体の弱っている箇所を探して根本的な悩みの種を解決していく、つまりは痛みや症状が気にならない本来の状態(ゼロの状態)へ戻していくという施術内容です。
自分の成長に繋がる、そして更に高い水準の技術を提供できると思い、倉吉分院でのお仕事を快く引き受けることにしました。
それから毎月、田中先生が大阪で開催されている整体スクールへ約1年間通わせて頂きました。
また、空き時間には技術練習として学校の部活動などにも参加させていただき、できるだけたくさんの方の施術をするようにしていました。
そうした実績を積み重ねる中で技術に対する自信も少しずつついてきて、自分自身の中で確かな手応えに変わっていくのを感じました。
しかしこの業界での勉強に終わりはなく、日々の勉強と行動が大切なことは承知しています。
私自身これからも変化と成長を続けながら皆様の長期的な健康を精一杯サポートさせていただくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。
田中療術院 倉吉分院長
久文 友葵