名前
田中 裕樹(たなか ひろき)
出身地・出身校
■ 鳥取県北栄町出身
■ 岡山理科大学附属高校
■ 仙台大学
経歴・資格
■ 株式会社HERO 代表取締役
■ 株式会社ポラリス 代表取締役
■ 田中療術院 院長
■ 日本小顔ストレッチ協会 代表
■ ストレッチ専門店STRETCH HERO 代表
■ Dr.stretch技術アドバイザー
■ 日本ストレッチトレーナー学院認定 パーソナルストレッチトレーナー
■ 鳥取県体育協会公認 スポーツトレーナー
■ ヒーリングリラクゼーションスクール認定セラピスト
■ チェンマイ大学解剖学実習受講終了
メディア出演履歴
・BSS山陰放送 発掘!お宝ハンター!!
・中海テレビ パルディア(2回)
・NCN日本海ケーブルネットワーク まちネタ
・日本海テレビ 金曜スパイス!
・TSK山陰中央テレビ 週刊ヤッホー!
・BSS山陰放送 テレポート山陰(4回)
・BSS山陰放送 生たまごBang!(4回)
・日本海テレビ ニュースevery
・山陰経済研究所 旬刊政経レポート
・山陰中央新報社 山陰経済ウィークリー(5回)
・読売新聞
・日本海新聞
・DARAZ FM(ラジオ)
・地方創生メディア「Mediall」 ▶︎取材記事はこちら
※田中の運営するストレッチ専門店STRETCH HEROの取材も含まれています。
商標取得
※当院で行っている「上部頸椎ダイレクトストレッチ」と「零式整体」は、田中の考案した独自の技術で全国の治療家にも技術指導しています。(商標登録)
全国の治療家への技術指導
延べ1500名以上の治療家への技術指導実績。
開催する技術セミナーには、毎回全国から多くの治療家が集まります。
参加者の皆さんは国家資格保有者が多く、とても勉強熱心で素晴らしい治療家さんですが、参加した治療家の先生方から高い評価を頂いています。
趣味
■ 器械体操
■ 旅行
■ ドライブ、ツーリング
■ 読書
特技
■ けん玉
■ 耳を動かせます
■ 体が柔らかいです(前屈で肘がつくのと、I字バランスができます)
好きな言葉
■ 道は自分で創る、道は自分で拓く
(相田みつをさんの詩集)
■ 何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く
(マラソンの高橋尚子さんの恩師の言葉)
その他自己紹介
・小学生の頃はサッカーをしていました。
・中学生の頃は駅伝もしていました。
(長距離走は苦手でしたが、おかげで少し速くなりました)
・海、川で死にかけたことが2回あります。(でも海は大好きです)
・カラオケは下手ですが好きです。
・方向オンチですが、知らない土地に行くのは好きです。
・色々なジャンルの本を読みます。
・漫画も好きで読みます。
・柔道の黒帯をもっています。
・中学・高校の保健体育の教員免許を取得しました。(今は期限切れ)
・現在でも体操は続けています。(年に数回程度)
・好きな種目は「鉄棒」です。
・平成24年は体操の鳥取県の代表として国体(中国ブロック)に出場しました。
・平成26年は体操の中四国大会、社会人部門で団体優勝、個人総合3位でした。
・アメリカンバイクが好きで、250ccのバイクを持っています。
私は小学生の頃から器械体操に興味を持ち、その頃から将来の夢は体操選手でした。
しかし私の住んでいるあたりは体操をする施設がないので、小学校の校庭の砂場でバク転バク宙の練習や、公園や学校の鉄棒で自己流で練習するというのが日課です。
体操の練習は朝、昼休憩、放課後と、冬の雪が降っている時でも半袖半ズボンで毎日練習していました。笑
当時体操を一緒に練習する仲間が何人かいて、私たちは「体操軍団」と呼んでいました。
中学生になっても体操をしたいという気持ちがずっとあったのですが、私の通う中学には体操部がありません。
体操部を創れないかと先生に直接交渉もしましたが、やはりそれは難しかったです。
そこで私が選んだのが柔道部でした。柔道部なら畳で体操の練習ができるという理由からです。笑
体操軍団の他のメンバーも、それぞれ違う部活に入りました。
中学の遠足で海に行ったときの写真。一番左(←)のひねっているのが田中
小学生の頃から体操をしたかったけれど本格的にできずにいた分、高校ではしっかり練習できる環境を求めていました。
当初は鳥取県内で体操競技の設備がある高校に進学しようと思っていたのですが、更に上のレベルで競技をしたいという思いから、両親を説得して岡山県の高校に進学させてもらいました。
そして、私の本格的な体操生活が始まったのです。
高校では寮に入り、念願であった本格的な体操の練習を毎日することができました。
つらい練習もありましたが少しずつ実力もついてきて、毎日充実した生活を送っていました。
小学生のころから砂場や畳で練習していたおかげもあり、脚力だけは他の選手に比べても強い方で、私の一番の得意種目は「床」でした。
そして高校3年生になった頃には、キャプテンとしてチームを引っ張る立場にもなりました。
また、もう一つの得意種目の「鉄棒」では県優勝できるまでに成長することができました。
高校を卒業した後も大学で体操競技を続けていきたかったので、その頃から大学見学や、実際に大学生との合同練習をさせてもらったりしていました。
そして、ある大学での合同練習の時のことです。
慣れない環境と設備、また私の不注意で鉄棒の着地に失敗してしまい、着地の時に腰が大きく反れ曲がってしまいました。
その時は激痛で動くことができず、もちろんその日の練習もそれ以上できませんでした・・・。
その時の動けないくらいの激痛はしばらくするとおさまり、数日経つとなんとか日常生活を送ることはできるようになりました。
しかし体に負荷のかかるような体操の動きをすると、激痛でまともに練習をすることができません・・・。
そしてそれはしばらくたっても変わらず、体操の練習をすると痛みで思い通りに自分の体を動かすことができなくなってしまいました。
治したい一心で整形外科から整体など、良くなると評判だったものは全て試しましたが症状は一向に良くならず、先生からも「腰は一度壊すと完治しないから、上手に付き合っていくことが必要」と言われていました。
その時は、「もう完治させるのは無理かな」と、ほぼ諦めていました・・・
この腰痛はもう治らないと半ば諦めていたものの、高校卒業後もやはり体操を続けたかったので、なんとか治す方法を探していました。
そしてそんな時、高校のクラスメートからある治療院を紹介してもらいました。
その治療院ではちょっと変わった施術方法をすると聞き、どんな内容かは分からないもののどうしても治したかったので、藁をもすがる思いでその治療院を訪ねました。
そして施術当日。
聞いていたとおり、とても不思議な施術方法でしたが効果は抜群!
紹介の時にクラスメートが 「体験しないと分からない」と言っていたのですが、その意味がよく分かりました。
とても不思議な感覚でしたが、その場ですぐに効果があらわれるのです。
そんなウソのような施術でしたが、たった数回の通院で腰痛が見事に完治!
諦めていただけに、本当に感激しました。
そして、何をやっても治らなかった腰痛が治ったという感動で、この頃から人体に関わる仕事に興味を持ちはじめていました。
高校卒業後は体操の名門、宮城県の仙台大学に進学しました。
いわゆる体育大学ですが、腰痛が治ったおかげで志の高い仲間と4年間の競技生活も充実して過ごすことができました。
あっという間の大学生活。
大学卒業後の進路を決める頃になっても「いつか独立して、私のようにつらい症状で困っている人たちの助けになるような仕事をしたい」という気持ちがずっとありました。
そして大学卒業後は地元に帰り、まずは業界の仕組みを知りつつ技術を身につけるためにマッサージ店で働きました。
そして入社3年目に開院を決意!
私の腰痛を治してくれた岡山の治療院に直接弟子入りをさせてもらい、仕事が休みの度に岡山に通って技術を学びました。
この技術はとても奥が深くて難しく、多くの治療家や鍼灸師の先生も学びに来るのですが、技術をきちんとマスターできるのはほんの一握りしかいなかったようです。
私もはじめはとても苦戦しましたが、猛練習した結果なんとかその技術を習得することができました。
そして実践練習を兼ねて近所の方たちにも協力していただき、少しずつ経験値を増やしていきました。
そして技術や経験もある程度自信をもつことができた平成21年に、念願の田中療術院を開院しました。
「これからたくさんの人を健康にしていくぞ!」
「きっとみんな驚いてすぐに忙しくなるぞ!」
と、自信だけはありました。
なぜならこの施術を扱う組合は厚生労働省にも認可され、これまでにも病院でさじを投げられた重症患者を多く救ってきた技術で、何よりも私自信が体験したとおり、私の腰痛が治った唯一の治療技術でもあるのです。
そして、この最高の技術を持つ先生から直接技術を学んだので、どこの治療院よりも高い効果をだせるという自信があったのです。
しかし、実際に開院してみると思ったように人が来ません。
開院当初は24歳で、信用も実績もなかったというのもあるかもしれません。
ましてや施術方法は普通の整体院とは違って、ちょっと変わっています。
「一度体験してもらえば分かるんだけどな」
いつもそう思っていましたが、その体験をしてもらうことが一番大変だったのです。
開業したものの、いわゆる暇な整体院でした・・・
「とにかく体験してもらいたい」
「困っている人を助けたい」
その思いから、無料体験会を様々なところで開催するようにしました。
・アスリート強化合宿
・小学校
・中学校
・化粧品会社
・スポーツジム
・美容院
・保険事務所
などなど、多くの方にご協力いただき体験会を開催してきました。
そしてしばらくすと、
その甲斐もあってかこの施術方法がどんどん浸透してきて、多くの方が紹介で来院されるようになってきました。
県外からも口コミで来てくださる方が増えてきて、そして最近では数か月先まで予約が入ることも多く、当日予約はほぼとることが難しい状況にまでなってきました。
その後もより良い技術を習得するため、色々な技術セミナーに行ったり技術教材を購入したり、ゴッドハンドで有名な治療院の先生に直接会いに行ったりと、常に勉強を続けました。
そして勉強と実践を重ねた結果、ついに独自の治療技術を確立することができました。
それが、現在当院で行なっている「零式整体®︎」と「小顔ストレッチ」です。
また、最近ではこの技術を教えてほしいという治療家の先生からの要望で、全国の治療家向けの技術スクールを開催したり、治療技術DVDの監修などもさせていただくようにもなりました。
現在、自分の理想とする技術を持つことができましたが技術に完成はありません。
これからも、少しでも来院者様が元気に過ごせるための研究を続けていきます。
たとえ症状を改善させるための「手段(施術方法)」は変わっても来院者様を健康に導くという「目的」は開院当初から変わりません。
あなたがもしつらい症状で困っていたり、どこに行っても良くならないということで悩んでいるなら当院の施術を試してみてください。
私は決してあきらめないので、あなたもあきらめないでください。
以下の理念をもって、北栄町の田中療術院でお待ちしています。
田中療術院では、来院者様に高い水準で健康になっていただくことを目的としています。
症状の改善だけでなく、元の状態よりも健康的で美しい体をつくるためのサポートをいたします。
田中裕樹